415系の100番台は、1978年から製造が開始された、いわゆる「シートピッチ拡大改善車」。 車内はボックスシートの配置が基本となっていて、ドア周りのみがロングシートとなっています。 ボックスピッチは従来の1,420mmを70mm拡大させた1,490mmで、同時期に同じ設計で113系2000番台車が増産されていました。 車内は緑色のメラミンプラスチックの化粧板で覆われていて、レトロっぽさは403系そのままの雰囲気。 ボックス席の取っ手が大型化されていて、1ヶ所で二人が握れるような設計となっています。 さらにボックス席部分の天井にも吊り革が増設されていて(後年追加装備されたもの?)、 利用者数が急増し、慢性的な混雑に陥っていった常磐線の歴史を感じさせます。 この形式から車内のトイレは、上野寄りの先頭車:クハ411-200番台車のみに設置されるようになりました。 仙台寄りのクハ411-100番台車の妻面側は両脇ともボックスシートが設置されています。 トイレはユニット構造化され、窓も横長に小さなものに。これらも113系2000番台と同一設計となっています。 この車両のウリはやはり「ボックスピッチの拡大」という点なのでしょうが・・・・ 毎日乗っている中ではそれでも狭いなぁと感じる程度ものでした。さすがに昭和53年時点での「最新設計」ですから。。。 主にボックス席を好んで乗っていましたが、シートに腰掛けた感触も403系譲りの「ハネる」ようなスプリング感。 |
1982年に、遂に登場した「オールロングシート」の415系。100番台の追番ではなく、500番台の形式が与えられています。 ロングシートはドア間に基本5人掛けのシートを2つ並べて10人掛け、連結面寄りは2人ないし3人掛けのシート配置。 上野寄り先頭車のクハ411-600番台にはトイレが設置されていて、ここに並行する部分のみ半ボックス席となっています。 登場当初のシートモケットはブラウンとヘーゼルナッツのツートンカラーで、中央線の201系をイメージして「近代化」な雰囲気を演出とか。 車内の化粧板が、415系100番台車までの「薄緑色」から白とクリーム色になって、かなり車内が明るい感じになりました。 ここがかなり視覚的なポイントを占めていて、薄緑色は「ボロい常磐線」・白基調は「新しい常磐線」と(勝手に)区分けしていました。 雑誌やウェブサイトなどの同車紹介では、しばしば「ロングシートはソファーのような乗り心地」と紹介されていますが、 毎日乗っていた感想としては、そんなにイイもんじゃなかったです。とにかく深くズブズブと沈み込んでいくシート。 その上、座面位置が低い低い!・・・確かに「ソファー」のような体勢で座ることになるのですが、真ん前には立ち客が来るわけです。 足が伸ばせないのに腰の位置は低くなってしまう。 とてもではないですが1時間半から2時間のラッシュタイムを駆け抜ける電車の座席ではなかったです。 そんなシートに苦情があったのか、単なるヘタレ解消なのか、後年ロングシートをバケットタイプに換装して 座面位置が高く改造された車両が登場しました。しかし、全車両にまで改造の手は回らずに、2007年3月での全廃を迎えました。 ちなみにこの500番台電車、1986年に5編成が勝田区から南福岡区へ転属。交直流近郊電車初の広域移動として注目を集めました。 さらに2007年3月には、九州に渡った元・勝田区の電車が南福岡から鹿児島へと転属となり、さらに南下。 常磐線で同形式車が全廃を迎える同じ年・同じ月に元の仲間達も動きを見せ、なんとも因縁めいたものを感じさせます。 |
常磐線の歴史を語る上で、必ずエポックメイキングな出来事として上がるのが1985年の「科学万博・つくば85」の開催。 一躍「国際科学技術博覧会」のアクセス機能を持たされた常磐線では、輸送力の改善が図られることとなります。 万博前年の1984年に増備された415系は700番台の新形式区分が与えられました。 この700番台は、新製当時には先頭車は存在せず「モハ−モハ−サハ」の中間車ばかりで製造されました。 (1989年にサハ411-707を改造した「クハ411-701」という700番台唯一の先頭車が登場しています) この中間ユニットは、4連で走っていた415系500番台編成や一部の403系編成に組み込まれ、基本編成7両編成が誕生。 これにより最大4+4+4の12連だったのが、7+4+4の15連という長大編成となり、「万博輸送」を主目的に「通勤輸送」も改善されました。 この700番台車はドア間にボックスシートを配置して、連結面にはロングシートを配置。 着席定員の増加を図りつつ、通勤電車としての輸送力の増加も図った「折衷」仕様となっています。 車内は化粧板が500番台と同じに白とクリームを基調とした明るい雰囲気のもの。 ボックスシートのフレームはブラウンに塗られ、ちょちょっと「オトナ風味」を醸し出しています。 登場当初は、ロングシート部分にのみ吊り革が下がっていましたが、後年の改造でボックス部にも吊り革が設置されました。 私個人としては、たぶん一番よく乗った415系ではないでしょうか。 ボックスの座り心地は100番台車と比べると、若干バネ反動が弱くて“柔らかい”座り心地だったように感じました。 そして何より、静かなサハ車にボックスシートがあるという点。余裕があればもちろんサハ車を選択。 車内が白基調で明るく、ボックスフレームが濃いブラウンという視覚的な心地よさもありました。 |
勝田区の415系は各番台とも、ロングシート・ボックスシート共に、画像のようなバケットシートに改造された車両が存在しました。 しかし・・・・日頃から撮影した車内や座席の車両番号を控えておかない悪いクセが祟ってしまいました。 いったい何番車両の画像を撮ったものなのか、全くの不明です・・・・(^_^ゞ |
日中、いわき〜土浦〜藤代間の電車で最後尾の運転席寄りにビニールシートを張って「荷物室」とした電車が見られました。 これは水戸支社内で印刷物などを大量に運搬するのに自社の電車を利用しているもので、今でもE501系などでも見られます。 常磐線は特急街道。上野〜水戸間では20分から30分おきに特急退避の長時間(といって数分から10分程度の)停車があります。 冬や真夏には3つあるドアの両端2つを閉めて、空調の効果を高める「ドア締め切り」を行っていました。 そして「弱冷房車」が首都圏で最後に導入されたのは常磐線でした。 常磐線では4・7・8両編成をフレキシブルに組み合わせて長大編成を組むため、「弱冷房車」の位置を固定することができません。 そのため乗る電車によって「弱冷房車」の位置が異なってしまうのです。 しかし、最終的には全編成とも上野寄りから3両目が「弱冷房車」となりました。 そして常磐線といえば、取手〜藤代間のデッドセクション。これがあるゆえに415系が存在するといっても過言ではありません。 客室内の照明と空調が全て落ち、数秒間とはいえ夜の時間帯にはまるで「客車夜行列車」に乗っているような雰囲気がありました。 |