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20番線は、さらなる混雑で式典などは全く見えません。
反対側の21番線にまわると、こちらもさすがの混雑ですが20番線ほどではありませんでした。
いよいよ天井から吊り下げられた看板に「さよなら式典」の文字が掲げられました。
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式典が始まりましたが・・・こちら(21番線)まではその内容が聞こえるほどは届かず・・・。
JR西日本のエライ人が挨拶しているところ・・・?と思われるシーンです。
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14時45分、「新大阪」を発車する最後の0系が入線してきました。
さよならペイントなども無く、いたって普通の、我々が一番見慣れた姿で登場した0系新幹線。
最後の最後を飾るのは「R61」編成でした。
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入線シーンを撮り終えると、この新幹線に乗るべく20番線へと移動。
発車案内表示には「ひかり347」号。途中停車駅、僅か3駅。そして「全車指定席」。
下の段の「ひかりレールスター」と比べても、この列車が特別な「ひかり」号であることが感じられます。
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方向幕は「赤いひかり」。Webサイトや噂でその存在は知っていましたが、この日「赤ひかり」表示を初めて見ました。
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ドア脇に立つJRの係員さんの指定券チェックを受けて、車内へ。
冷水機跡の上に掲げられた、浜名湖を行く0系の写真。東海道時代の思い出も一緒に、最後の日を迎えられたみたいです。
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たくさんのギャラリーに見守られる中、「ファーン」と警笛を高らかに鳴らして新大阪駅を滑り出すように発車。
前後を定期列車に挟まれた、半分イベントのような列車ですので、さほどスピードは出さないであろうと思いきや・・・。
新神戸駅を驚くような速さで通過!! この後も次々と、手加減無しのハイスピードで駅を通過して行きます。
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車内では昔の販売員の制服を着たスタッフによる記念乗車証の配布が始まりました。
記念乗車証のデザインは意外とシンプルでした。 ある意味「国鉄時代」を思わせる素っ気無さ??
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さらに車内限定のグッズ販売が始まりましたが、混乱を避けるために整理券方式、かつ車内3箇所のデッキでの販売でした。
係員さんが紙の入ったカゴを差し出し、乗客がそれを1枚引いて、その紙に整理番号が書かれているという手順。
私ももちろん1枚引かせてもらいましたが・・・・・整理券番号「127番」って、順番かなり後ろじゃありません?!
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予想通り、私の順番はかなり後のほうでした。(っていうか、順番呼ばれたのはすでに岡山を発車した後でした)
「数に限りがあるので売り切れの場合はご了承下さい」なグッズ販売。案の定、私が販売箇所に向かうとご覧の通り(笑)
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4種類の中で、唯一残っていたステッカーを購入。最初からステッカーが欲しかったので、希望通りでとりあえず良かったです。
全日空の「さよならSR」の時みたいに、0系の廃品パーツを加工したキーホルダーとかタイピンなんかがあったら嬉しかったですね〜。
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この夏にも0系に乗りましたが、「こだま」号として走っていた0系はマッタリとした走りで、すでに「ご隠居さん」な雰囲気でした。
それが、今日はまるで・・・「え?これはのぞみ号ですか?」と思わせるほどの強烈な速さ。
700系やN700系には感じられない、どこか重々しい「機械が走っている」という感覚。これがきっと0系の全速力の世界なんでしょうね。
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「岡山」駅に到着。ここでは1分停車です。もちろんここにも0系を見届けようというたくさんの人が集まっていました。
「こだま」で乗った時は「ようやく岡山着いた〜」という感じでしたが、今日は「あれもう岡山?」というほどあっという間でした。
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ツアーの乗客には、特製のお弁当とお茶が配られました。(お弁当は車内販売で売られていたものと同じもの)
掛け紙には「さよなら記念弁当」の文字と0系の写真、0系ミニヒストリーが印刷されています。
お弁当の中身は・・・・お赤飯が入っていたり海老が入っていたり、けっこう華やかな彩りのお弁当です。
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岡山から広島までもノンストップ。「のぞみ」の所要時間に近づこうというほどの、約45分の所要時間で広島に到着。
ここでは発車式典が催されると、後続の500系「のぞみ」29号を退避するために10分停車。
「ひかり」347号唯一の長い停車時分ということで、ホームは0系を見に来た人と、0系に乗ってきた人で大混雑。
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ホームでは駅弁屋さんが大きな看板を持って、特製さよなら弁当の宣伝。
0系をサイドから撮ったキャッチーなパッケージの駅弁は大人気で、たくさんの人が購入していました。
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1号車博多方では出発式典が行われていましたが、ものすごい人だかりで近づくことすらできません。
10分停車で、のんびりホームから0系の姿を眺めることにしました。
パンタグラフとパンタカバー、こんなに大きくて無骨なデザインだったんですね。
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1号車の指定席の私ですが、1号車付近は大混雑で近づけないので、3号車あたりから乗り込んで1号車に戻ることにしました。
途中で花束を抱えた運転士さんに出会ったので、写真を撮らせてもらいました。
新大阪から広島まで運転してきた運転士さんで、式典での花束贈呈のあと混乱を避けて車内を後方へと移動中のようでした。
白い手袋と制帽がカッコイイ〜〜!! 0系の最終列車の運転を担当したなんて、スゴイことです!
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広島を出ると、窓の外は徐々に夕闇へ・・・・
少しづつ暗くなっていく車窓を眺めていると、旅の終わりと同時にもうすぐ0系におしまいの時が近づいていることが感じられ、
妙に感傷的な気分になってしまいます。
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徳山のコンビナート群も、横目に見ながら高速で通過。
博多開業以来、ずっと0系が見てきた、0系とともにあったこの風景。明日からここには、この丸い顔の新幹線の姿はありません。
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車内で、私にこのツアーを紹介してくださったお友達さんにお会いしました。
彼は今日の午前中に交通科学館の0系の車内見学ツアーに参加されてきたそうです。
その見学時もらったというパンフレットを分けて下さいました。貴重なお品、ありがとうございました〜!
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新関門トンネル突入時には、車内放送でトンネルと新幹線博多開業とその当時の0系のついての簡単な説明がありました。
轟音を突き破ってトンネルを抜けると、そこは九州。そして最後の停車駅、「小倉」に到着です。
外はすでに「夜」という感じの暗さですが、ここ「小倉」でもたくさんの人が0系の到着を待っていました。
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【0系点描】
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「新大阪」を出て約3時間。すっかり夜の帳が下りた、ネオン煌く街明かりに包まれて0系は「博多」駅に滑り込みました。
1964年から44年間続いた、「新幹線軌道上に0系がいた」時代が終わった瞬間です。
「博多」駅には、想像していた以上のギャラリーが0系の到着を待ち受けていました。
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1号車の先頭方では、到着後さっそく引退式が始まりましたが・・、あまりの混雑と混乱で1号車からは下車できない状態。
となりの2号車まで移動して、やっとホームに出ることができました。
方向幕はすでに「赤いひかり」表示から「回送」に変わってしまっていました。
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隣りのホームには「ひかりレールスター」が到着。ついでに0系最後の姿を見ようという人も加わってホーム上は大混雑に。
博多到着後10分ほどで、0系は車両基地へと向けて出発していきました。
丸いダンゴ鼻とつぶらな赤いテールライトがホームから見えなくなるまで、たくさんの人が見送り、佇んでいました。
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コンコースでは0系グッズを販売する出店が出ていて、まさに「お祭り状態」。
「ひかり」347号に乗ってきた人のために、指定券を記念に持ち帰れるための準備も整っていて、実にすんなり改札を通れました。
新幹線切符売り場には、0系のポスター。そしてその上には最先端テクノロジーで武装したN700系がすまし顔。
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ホテルにチェックインして部屋に入りテレビを付けると、ちょうどNHKニュースで0系引退のニュースが流れていました。
今まさに乗ってきた新幹線の走行空撮シーン、各駅の出発式、そして博多での最終式典の模様が次々と。
「この『最終列車』に乗ってきたんだなぁ〜」と、しみじみと感慨深くなりながらテレビの画面を見ていました。
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今日の晩御飯は・・・・途中の「広島」での停車中に買った、あの駅弁を夕飯にしました。
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ちなみにホテルは新幹線の高架のすぐ脇に建っていて、私の部屋からは新幹線や九州の電車がよく見えました。
部屋の照明を真っ暗にして、窓越しに新幹線の流し撮りにチャレンジ。
夜はちょっと外出して、夜更かしせずにいつもより早めに就寝しました。
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