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アラームよりも前に目が覚め、カーテンを開けると外はまだ真っ暗。
ただ、寝る前までは進行方向とは逆向きに流れていた車窓が進行方向の向きに流れているので、
すでに「長岡」駅を出て、北陸本線へ走り出しているよう。
(「北陸」号は「長岡」駅で運転停車。ここでスイッチバックして金沢(上野)へ向かって走り出します)
朝のシャワーを浴びに2号車へ向かうついでに、もう1つ先の1号車へ。
貫通路の窓からは見えるのは真っ赤な機関車。機関車はEF64からEF81へバトンタッチしていました。
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時折、住宅街の弱い光や踏切の警告灯が流れるだけだった車窓に、徐々に街明かりが戻ってきました。
この日最初の「おはよう放送」が流れ、車内放送が「まもなく富山」と告げると、「北陸」号の朝がにわかに動き始めます。
「富山」駅到着。朝5時30分を回ったばかりですが、北陸側最初の大都市ということもあってゾロゾロと降りてゆく人の群れが
窓の外に見えました。
向かいのホームには名古屋行きの特急「しらさぎ」号。窓から漏れる白熱灯色の照明が実に暖かそうです。
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最後尾のデッキから眺める車窓は、どんどん後方へと流れ去る幾重もの光のスジ。
真っ暗な中にコバルトブルーが浮かび始め、空は徐々に朝焼けしていきます。
「北陸」号で使われている14系客車は、寝台車の床下に電源装置を積んでいるため「電源車」を連結していません。
ですので、上り下りとも全ての区間で最後尾のデッキからは、後ろ展望が楽しめます。
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「富山」から20分ほどで「高岡」駅。
一気に「金沢」へと向かい駆け抜けるのかと思いきや、ここ「高岡」では6分停車。
シーンと静まり返ったホーム。運転士さんや車掌さんの交代というわけでもなく、
終点間近にして何のための長停車なのかと思ったら、さきほど「富山」駅で向かいのホームにいた「しらさぎ」号に
追い抜かれるための停車でした。
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30分ほどの間で空はすっかり白んできました。
車窓もだいぶ見通しが効くようになり、難所「倶利伽羅峠越え」を目で体感。
制服姿の高校生がポツポツと電車を待っている「津幡」駅を出ると、いよいよ終点「金沢」へ。
「金沢」駅でのちょうどよい階段の位置を知っているのか、この個室車の通路を通り抜けていく人もいて、
終始静かだった「シングルデラックス」車にもざわめきが戻ってきました。
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終点「金沢」駅に到着。わずかな遅れも無く、定刻とはさすがです。
初めて下り立った「金沢」駅は天井が完全に屋根に覆われた「新幹線」みたいな駅でした。
さすがに暖房を効かした車内から外に出ると空気が肌にピシッときますが、
想像していたより寒くなく、外の空気に慣れると冷たさの中に湿っぽさがあるように感じられました。
これが「北陸の冬」なのかな?
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「北陸」号が到着して数分後、「上野」から後を追いかけてきた急行「能登」号が入ってきます。
わずか数分の間隔で、全く同じ区間・同じ路線を夜行列車が続行運転しているのは、
日本中でこの「北陸」号と「能登」号だけではないでしょうか。
それだけ東京と北陸は、鉄路での結びつきが強く、需要が高いということでしょうか。
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「能登」号は、国鉄時代からの伝統的なカラーリングを纏った489系電車、しかも両先頭車はボンネット型で運転されています。
見た目にはかなり年季の入った姿ですが、荒れたような老朽感はなく、「北陸」号同様に比較的美しい外観を保っています。
「北陸」号と「能登」号。どちらも昔から脈々と東京と北陸を結んできた由緒ある列車。
長い歴史の証人として、いつまでも頑張ってもらいたいですね。
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