1962年8月、初号機が初飛行に成功して以来、「戦後復興」「オリンピック聖火輸送」と様々なシンボリックタイトルを歴史に刻み、 40年以上にわたって日本の空を旅客/軍用の両面から支えてきた、国産旅客機「YS-11」 しかし、「航空機衝突防止警報装置」の装備義務化によって、搭載猶予となる2006年中の完全引退が決定付けられると、 まず先陣を切るように、エアーニッポンのYS-11が次々とリタイヤし、2003年に同社のYS-11は運航を終了。 鹿児島の離島路線を中心に活躍していた日本エアコミューターの数機も2006年9月30日で全機退役となり、 日本の空を支え続けた唯一の「made in JAPAN」の旅客機は、時代の流れに圧されるように消滅・・・ 日本国内におけるYS-11は、40年以上に渡っての旅客機としての活躍に終止符を打たれました。 不朽の名機−YS-11 空を翔けるその輝きは、今、数々の栄光とともにヒカリの向こうへ・・・・ |
2+2列の4アブレストを16列。合計64席がYS-11の標準定員です。 (JACには一部に15列でシートピッチ拡大を図った機材が存在します。) 客室全体は天井が非常に低く、インテリアはどこをとっても“レトロ”そのもの。 円形意匠とした機内照明や、カバーのないハットラックはまさに電車の「荷棚」。 現代のジェット機に乗りなれていると、どこぞのアミューズメントパークの乗り物かと思ってしまうかも。 座席シートピッチは約800mm、シート幅も約500mmと座席廻りは大変ミニマムな空間となっています。 リクライニング機構を備えていますが、その角度も非常に小さなものです。 一足先にリタイヤしたエアーニッポンのYS-11には小型の背面収納テーブルが装備されていましたが、 JACのYS機にはテーブル設備はありません。そのかわり(?)アームレスト先端から引き出す「ドリンクホルダー」を装備。 前述のハットラックですが、名前の通り「帽子置き」程度の大きさ(高さ)なので、 旅行トランクなどは当然のこと、比較的小さめのバックパックなどでも載らない可能性大! ちなみに私が持っていた40×30×12(cm)の旅行トランクは、ハットラックに載りませんでした。 大改造を施されることもなく、すべてが30〜40年前の水準のままをキープしており、 それを現代に体験できるというのは大変貴重なことです。 こだわりの席をチョイスするなら、2番A・D席がおすすめ。 ロールスロイス・ダートエンジンの唸りと回転するプロペラを間近に見ることが出来ます。 3番席は窓割りと座席配置が若干合っていないのですが、前かがみの姿勢でなら外の景色が楽しめます。 1番席は事前予約不可の身障者席。6〜14番席は翼の真横となります。 |
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「サニタリー」とか「ラバトリー」というよりも「便所」という表現がピッタリ?! きっと、当時は「最先端の感覚と装備であなたのご用をお足しします」とかいう触れ込みだったんでしょうねぇ。 真四角の便座を備えた便器、ちょっと凝った意匠のシンク、照明を備えたカガミ・・・・。 非常にコンパクトな空間にも長年の歴史が詰まっている「トイレ」です。 客室後部、ラバトリと荷物室に挟まれた僅かなスペースにギャレーが設置されています。 小さなカウンターにトレーとカップを並べ、4台のドリンクサーバーで飲み物サービスの準備。 YSには2名の客室乗務員が乗務しますが、連携プレーで準備をするにはこの大きさがちょうどよいらしく、 「狭くて大変ですね」と聞いてみたところ、「このコンパクトさが実はとても使い勝手がいいんですよ」とのことでした。 客室の空調・照明などのマスタコントロールパネルもここに設置されています。 YS-11は折り畳み収納式のステアウェイを備えています。 空港のオープンスポットで旅客を乗り降りさせるには「タラップカー」を据え付けて待たせなければなりませんが、 自機にこの収納式のステアウェイを装備しているYSはこれが不要。どんなローカル空港でも旅客の乗り降りが自由自在。 YSが日本で引退したあと、海外のエアラインに引き取られてド田舎路線に就航するケースが多いのも、 この便利なステアウェイの存在が大きいからかもしれません。 |