ワイドボディ機として「L-1011 トライスター」を抱えていた全日空が、次なる幹線主力機として選んだのが「B747SR-100」。 モノクラス528席を誇るキャパシティで登場した全日空のSR機は、当時の旅客機としては「世界最大定員」を記録しました。 長年に渡り“日本の空=ジャンボ機”を日本国民に強烈にイメージ付けてきたB747SR-100「スーパージャンボ」。 全17機のフリートから最後の1機として残ったのは「JA8157」。 海外へも羽ばたいた彼は、27年間に及ぶ“SR伝説”を残して2006年3月10日、日本の空から姿を消しました。 |
SR機の「スーパーシート・プレミアム」はアッパーデッキに。 1978年、SR機がアメリカの工場から日本に到着した時、アッパーデッキにはすでに特別席が備えられていました。 しかし、当時は通常の座席販売からアッパーデッキはブロックされていて、リクエストしてきた利用者だけに販売していたそうです。 このアッパーデッキが「スーパーシート」として販売が開始されたのは1985年のこと。 JAL社・TDA社(当時)に先駆けて「スーパーシート」サービスを始めたのは全日空、そしてこのSR機が「日本初」なのです。 現在、「スーパーシート・プレミアム」へと進化した同サービス。 順次座席がグレイッシュブルーのモケットのものに変更されていますが、SR機では引退目前ということもあり、 ニューモケットになることはなさそうです。 ちなみに、このダークグレーにカラフルなドットが施されたモケットは2世代前のもの。 この姿のままで引退していくのは決定的で、ちょっと昔のANAのスーパーシート気分が味わえる貴重な存在です。 座席自体は他機種のスーパーシート席と同じですが、オーディオパネルがダイヤル式の古めかしいものになっています。 アッパーデッキは窓の位置が若干低めで、背の高い方には窓が「二の腕」あたりになってしまうかも。 |
アッパーデッキは天井が大きく湾曲しているため、頭上のハットラックは設置されていません。 スーパーシートの搭乗客は手荷物を窓際の「収納ボックス」に入れることになります。 窓際の乗客なら巡航中に手軽に手荷物が取り出せるので大変便利ですが、 横幅があまりにも狭いのでやや大きめの荷物を持ち込んだらアウトです。 収納力に関してはあまり期待できないかも。。。。 スーパーシートではコート類の預かりサービスがあり、預けたコートは客室前方のクロークに収納されます。 コートの返却は、空港到着時ではなく着陸態勢に入る前の上空で各搭乗客に返却されます。 「2階席がスーパーシート」・・・これに一種のステータスを感じるSRファンは多いと思います。 ライバルでもある日本航空でもB747SR-100を多数運行していましたが、両社のSR機では内装に決定的な違いがあります。 それがこのアッパーデッキへの階段。 日航のSR機は、ボーイング社でB747開発初期に当たる時期に納入されたので、「らせん階段」を備えていました。 一方の全日空のSR機は、ボーイング社でのB747生産が初期型「ダッシュ100」から 次の発展型「ダッシュ200B」型へ移行していたため、「ダッシュ200」と同じ「直線階段」になりました。 |
3+4+3の10アブレスト・ハイデンシティ仕様の客席が生み出した、500席を越える巨大キャパの客席数。 空の旅をより身近なものにし、日本人の旅行のスタイルを大きく変えたのがこの「スーパージャンボ」でした。 現在の「日本のジャンボ機」として大多数を占めるB747-400Dでは、 最前部AコンパートがANAでは「スーパーシート・プレミアム」、JALでは「クラスJ」と特別席空間になっています。 そのため、このデルタ形状の客席に普通席がビッチリと設置された光景は、今では逆に新鮮に目に映ります。 この区画の真ん中には独立した3席があり、ぶっちぎりのプライベート感から、 足が伸ばせる非常口席に次いで人気の席となっています。 さて、Bコンパートのスターボードサイド(右側)には、パーテーションで3列と2列に仕切られた奇妙な区画があります。 これは全17機存在したSR機の中でも、最後の1機として残った「JA8157」だけに見られます。 「JA8157」は一時期、シドニー線やホノルル線などの国際線専用機として飛んでいた時期がありました。 そのため国際線機「B747-200B」と同様に、メインデッキにCクラスのシートを設置していました。 このパーテーションはCクラス席とエコノミー席を仕切っていた時代の名残なのです。 ここの区画は、他の普通席と比べてもシートピッチが大きいため、“通”が真っ先に指定する隠れた人気席になっています。 そのほかの座席周りの付帯設備は、現行主力機B747-400Dとほぼ同等のものとなっています。 B747-400Dでは真っ青なモケットで統一されていますが、こちらSR機ではフタ昔前の地味なモケットを纏っています。 |
国際線でも飛んだ「JA8157」。長距離のシドニー線やホノルル線で活躍した同機は、ラバトリの大幅増設が行われました。 ラバトリ内は、同じく「クラシック・ジャンボ」ファミリーであるB747-200Bと同じ、やや無骨な雰囲気です。 一部のラバトリには、国際線時代の名残なのか、化粧水や整髪料を立てておくスタンドが残っています。 |
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ラバトリ同様に、国際線投入の対応としてメインデッキにギャレーの増設が行われています。 もっとも国内線で飛ぶ現在ではこの多くのギャレーの大半が使われてはいません。 大昔の「フライトマップ」に、B747SR「スーパージャンボ」のコックピットが載っていたのでお見せいたします。 (以前は国内線サービスで、飛行機の通り道を描いた日本地図が配られていました) 機械オンチな人なら見ているだけで目が回ってしまうそうなアナログ計器がズラリ! CRTモニターなどはどこにも見当たりません。 コックピット全体から伝わってくる重厚さは、現代の旅客機のスマートなコックピットにはないものがあります。 この手前にはフライトエンジニア(FE)パネルがあります。 今の飛行機ならコンピューターの自動制御下にある全てのパラメーターを、FEが“見張り番”として、 おびただしい数のアナログ計器を常時監視していました。 3人のフライトクルーが一丸となって、「人の手で飛ばす“ジャンボ”」。SRは全日空にとって最後の3メンクルー機でした。 |