鮮やかなトリトンブルーが、どことなく「不思議」なマッチングを魅せるレトロなフォルム。 「フォッカー50」というと現在のトリトンスキームより、「赤鼻のポチ君」の「中日本エアラインサービス」時代を思い出すファンのほうが多いのではないでしょうか。 「フォッカー50」を日本で唯一導入したのは「中日本エアラインサービス(NAL)」で、フォッカー50の日本デビューは1991年のことでした。 その後セントレアの開港に併せて、同社とフォッカー50は全日空の傘下へと入り、社名は「エアーセントラル」に。フォッカー50もトリトンスキームへと変身しました。 最盛期には4機がセントレアをベースに、新潟・米子・徳島などといったローカル路線に活躍。 セントレア−成田間の国際線乗り継ぎ便といった花形の舞台から、セントレア−仙台という長距離路線にも飛びました。 全日空の歴史に燦然と輝く名機「フォッカー27・フレンドシップ」のスタイルを色濃く引き継いでいる「フォッカー50」。 そんな「古くて・新しい」この旅客機も、2008年度中の全機退役が決定されていて、もうすぐその姿を日本から消そうとしています。 |
「フォッカー50」には2タイプのキャビンアレンジが存在しますが、こちらは一般的な56席仕様のキャビンです。 機内はかなり狭く、座席上には「ハットラック」が設置されているので、特に窓側席だと中腰の姿勢でないと立ち上がれません。 座席は「シクマ」製。NAL時代は薄紫色のシートカバーでしたが、現在は画像のようなブルー系になり、ANA系列のイメージとしています。 座席背面の足元を極端に削ったデザインで、シートピッチの狭さを払拭させていますが、真横から見ると座席全体がすごいバランスです。 背もたれ部分は、両脇にこれまた極端なエッジが付けられていて背中をもたれた時のホールド性を強調しています。 ただ、このエッジは私のような細身の人間で「ピッタリ」でしたから、中肉中背の方には両脇の張り出し具合がフィットしないのでは?! リクライニングは、ごくわずかに倒れます。ちなみに最後列の4席はリクライニングしません。いわゆる「ハズレ」席。 座席背面には収納式テーブルと、マガジンポケット。座席真ん中の肘掛は、持ち上げて収納が可能です。 天井ハットラックの下には読書灯とエアーの噴出し口のパネル。読書灯のスイッチは手元ではなく、このパネルと一体になっています。 |
2002年に「中日本エアラインサービス」が導入した最後のフォッカー50が「JA01NV」。 この機体を導入する時、すでにフォッカー社は倒産・製造終了となっていたため、海外で使われていた機体を中古購入しました。 機内は革張りシートに、客室内に大型の荷物室を設けた特別仕様となっており、セントレア−成田間の専属シップとして活躍しました。 荷物室の関係で座席数が一般仕様の56席から50席となり、1C・1D席と6番列4席がシートマップから削られています。 機内に入った瞬間、革張りシートの雰囲気から一瞬「ビジネスジェット」のような趣きが感じられます。 革は、導入後おそらく一度も交換されていないと思われ、全体的に摺り切れた感じがあり、表面はヨレヨレになってしまっています。 革特有の匂いは完全に払拭されていますが、使い込んでテロテロ寸前な状態の革は、どこか物悲しさが漂います。 そんな状態のせいか、革表面はとても滑りやすくなっていて、離陸時には体が自然にズルズルと滑り出し、元の姿勢が保てません。 また、着座時の全体のバランスもどことなく凡庸でホールド感に欠ける印象が否めません。 見た目には豪華でも「座る」という機能としては、一般仕様の座席の方が上位であると感じられました。 リクライニング量やシートピッチは、一般的な56席仕様のキャビンのものより若干大きく感じられました。(詳細な数値は不明) 座席背面には収納式テーブルとマガジンポケット。テーブルは倒した後に手前に引ける機能は省略されています。 マガジンポケットは、口がガバッと大きく開く上にポケット内が大容量なので、ペットボトル飲料が軽く2〜3本は入りそうです。 |
| | |
| |
空港では、ほとんどの場合で搭乗スポットまでバスで向かって、地上から飛行機に乗り降りするというスタイルになります。 機内への階段は、収納されるとそのままそれがドアとなります。上空では客室側に迫り出している階段が見られます。 トイレは前方の1ヶ所のみ。かなり狭く、高速バスのトイレを髣髴とさせる狭さです。ベビーベッドは設置されていません。 ギャレーは後方のみに設置。こちらもコンパクトな設備で、ドリンクサーバー2機とカート2台でいっぱいという風情です。 ドリンクサーバーには、懐かしい「NAL」のロゴが入ったものがまだ残っていました。 |